太刀掛祐之(タチカケユウジ) 亀山神社 宮司(グウジ) (宮司とは、神社における役職名です。宮司=社長、禰宜=専務、権禰宜=その他 と言った感じです) 太刀掛家は、亀山神社を代々御守りさせていただいている社家で、私で32代目となります。 平成22年4月1日、31代目宮司親白(私の父)に代わり、宮司を拝命しました。 神職資格:國學院大學神道学専攻課を修了し、神職資格を取得 神職階位:明階(上から、浄階・明階・正階・権正階・直階の五階あり、学位等に依ります) 神職身分:2級 (上から、特級・1級・2級上・2級・3級・4級の六級あり、年齢や研修歴等に依ります) この神職身分は袴の色によって分かれており、2級は紫色の袴です。平成19年9月に3級から昇級させていただきました。3級までは水色の袴です。 身長:180cm 装束が寸足らずになりがちですね・・・ 体重:高校2年生の時に身長が止まって以来、30才まで67kgを維持していましたが、30才を過ぎるとともに… お酒:大好きです 一杯目のビール、焼肉にビール、たまらないですね。最近メタボを気にする年齢になり、普段はカロリーオフのビール系発泡酒を飲んでいますが、サン△リーのプレミアムモ●ツがほんとは一番好きです^^ ワインは、以前は少々苦手でしたが、友人や先輩、家族のワイン好きの影響で、今では好んで飲むようになリました。自宅から歩いていけるエリアに、イタメシやフレンチの美味しいお店が沢山あるので、たまに妻と飲みに行っております。 日本酒はおさがりの御神酒を自宅に持ち帰っては飲ませてもらっていますが、呉は刺身の美味しい焼鳥屋さんや居酒屋さん、割烹料理屋さんが多いので、お店でももちろん飲んでおります。日本酒の飲み方としては邪道ですが、昔から氷を入れてロックで飲むのが一番好きです^^ 美味しい肴とお酒があれば、幸せこの上ありません^^ 煙草:30本以上吸ってましたが、33才の時にやめました。 とはいうものの、根性無しの私は、飲みに出たときなど、ちょっとだけ!と思って吸ってしまう事も多く、自宅に帰ったときに「タバコ臭い。吸ったわね!?」とよく妻につっこまれます スポーツ:子供の時からやっている剣道と、休みをいただいた時にはゴルフを。冬はスキーもしますが、神社の行事が多い時期なので、最近はあまり行けてません。 続いて、生い立ちも少々… 幼稚園は、神社のすぐ近くにある曹洞宗のお寺に行きました。
お坊さまに囲まれて遊んでいました^^ お数珠を持って園児全員本堂でお詣りもしていたそうです。(ボクの記憶にはありません) 周囲の人達からは、「神社なのになんでお寺に行っていいんだ?」とよく聞かれますが、実は私の息子達もこちらのお寺の幼稚園に通わせました。 神社のメインページには神社神道の考え方なども紹介しておりますが、「まさに神道」という代表例の一つですね~ 神道はいいですよ~ 小学校は、神社の隣にある呉市立和庄小学校に行きました。
小学校1年生になったときに剣道を習い始め、 小2の時に初めて呉市の剣道大会に出場。その時に確か3位に入賞し、新聞に自分の名前がのって、 子供ながら非常に嬉しかったことを覚えています。 僕は、そこですばらしい師範に巡り会いました。その先生のおかげで、「文武両道」の精神を忘れることなく、 剣道も続けることができたと思います。(こう書くと、勉強をすごく頑張ったようですが、 そーユー訳ではありません。剣道だけに溺れずほどほどに勉強をしたという事です。。。 自宅に舞い込んだ進学塾からの一通のダイレクトメール。 現在でもどこで調べているのか、小学校入学時や高学年への進級時になると学習塾からのDMが届きますが、今から30年近く昔の当時もあったんですね~ これが僕の人生の大きな岐路となりました。 受験して入る中学校があるなんてまったく知らなかったのですが、この塾は私立中学受験の為の塾だったようで、6年生になったら当然のように受験する事になっていました… しかし受験期になっても週2回の剣道の練習を休まず続けることができたのは、まさに前述の剣道の先生のおかげです。 すでに亡くなられておりますが、神社の道場にはこの先生の写真を今でも掲げております。
訳も分からず受験することになった訳ですが、欲がなかったのが幸いしたのか、なんと合格していたので、 広島市内の某キリスト教系の中学校に行きました。
神父様に囲まれて過ごしていました。 中学時代は寮に入り(寮の舎監だったブレネン神父は、漢字まで書けてしまう日本語の達人でした)、 初めての団体生活をしたわけですが、小学校を出たばかりの子供だった僕がホームシックにならなかったのでは、 今でも不思議です。 ずっと小学校から剣道を続けていまして、クラブも剣道部でした。 呉市の大会では必ず入賞してましたが、広島市の大会はレベルがちょっと高く、ベスト8止まりでした。 中高一貫教育だったので高校入試もなく、のんびりとした中学生活を送らせてもらいました。 高校から入学することはできない学校だったので、中学高校の6年間メンバーが替わらず、団結心は強かったです。 高校でも剣道は続けまして、高校卒業時には三段を取ることもかないました。 幼稚園時代の欄でも述べていますが、「神社の子供」である僕がカソリック教会の学校に通えたことは、「まさに神道」でして、神道に感謝! なんのこっちゃでスイマセン… 高校時代の3年間は、自宅からJRで通いました。 当時は呉線と山陽本線の連絡が悪く少々不便でしたが、友人達と一緒に電車で通ったこともいい思い出です。 高体連の剣道の試合に出たあと、広島からJRで帰宅していたところ、不覚にも呉駅直前で眠ってしまい、気が付くと呉から1時間以上もかかる忠海という駅まで寝過ごしていました(泣) 若い頃はよく眠れるものです… 東京都千代田区にある、某キリスト教系大学の数学科に進学しました。
数学科というのは理系で唯一?実験の無い学科でして、そのおかげで留年せず卒業することが出来ました。 何せ、大学時代はホテルニューオータニで、ウェイターのアルバイトに精を出していたので、 大学への出席がおろそかになりがちで、実験があったら単位が取れなかったと思います。 ニューオータニのアルバイトでは、各界著名人の結婚披露宴や、 政財界のパーティー、国際サミットなどの会場にウェイターとして入ることが出来たので、 面白い経験がいろいろ出来ました。 ちなみに今でも料理を取り分ける時のサーバーはかなり上手く使えますよ^^ サーバーの持ち方には、「ジャパニーズ」と「アメリカン」の2種類あるそうでして、ニューオータニではサーバーをお箸のように持つ「ジャパニーズ」という持ち方でサービスしておりました。 ウェイターのアルバイトがない時には、ビリヤード(メジャーなポケットではなく、 四つ玉やスリークッションの方です)にはまり、フリーの雀荘のように1人で行って、 知らない人とつけるお店に入り浸っていました。 そこで知り合った当時21歳(僕と同級)の不動産会社勤務の悪友と、 お店がはねては、夜な夜な夜のまちに繰り出していたのを覚えています。僕が広島に帰ってからは、 一度も会って無いのですが、彼元気かなあ?当時昭和60年代前半で、まだ世間はバブルの真っ最中だったので、 僕の悪友は景気が良く、ほとんどおごってもらっていました。ありがと! その悪友と遊んだあと、「少しお腹がすいたな~」と言う時には、早稲田通りにある札幌ラーメンの「えぞ菊」や、新宿アルタの裏にある熊本ラーメンの「桂花」というお店によく行ってましたね。 今でも東京に行った時に、ラーメンが食べたくなったら「桂花」に行くことがあります。相変わらず美味しいですね~ えぞ菊は駅から遠いと言うこともあり大学を卒業して以来一度も行ってないのですが、まだ営業してるのかな?当時から超有名店で行列のできる人気店だったので、つぶれてることはないと信じております… と気になっておりましたが、東京在住の某氏から貴重な情報を頂きました! 「えぞ菊」 今の営業中だそうです。(H19) とはいえ、僕が書いているような行列のできる人気店という感じはないと言われていました… 昼に行ったことはないのですが、夜遊び後の午前2時~4時頃は、当時満席の事も多かったんですが。。。 大学の卒業を控えた4年生の冬に、國學院大學神道学専攻科の入試を受験しました。
受験科目は、たしか国語と日本史。 大学は数学科でしたので、言ってみればバリバリの理系です。一般教養科目もありましたが、ほとんどの授業は数学ばかりで大学4年間を過ごしてた訳です。 さかのぼって言えば、大学で数学科に進んだと言うことは、高校の時から理系クラスにいた訳でして、そんな僕が「国語」と「日本史」で受験をしなくてはならない、なんて正直キツかったですねぇ~ おかげさまでなんとか合格させていただき、無事國學院大學神道学専攻科に進学することができました。 専攻科は基本的に1年間のコースですが、70単位余りの専門科目を取らなければならず、いってみれば2年分の専門科目を履修している感じです。 毎日1限目から5限目までびっしりと講義がありまして、授業が終われば午後6時前、と言う日々が毎日続いてかなり大変でしたね。 しかし、國學院大學は渋谷の繁華街に徒歩10分という好立地条件?でしたので、よく級友達と渋谷センター街に飲みに行っておりました。なつかしいです。 なんとか、すべての単位を取るができまして、無事1年間で卒業させていただくことができました。 専攻科修了後は、呉に帰って参りました。
呉に帰ってきてからは、大学時代に取得した教員免許を活かして数学の教員となりました。
ご縁をいただいて、呉武田学園武田高等学校に就職させていただいた訳ですが、教員の採用が非常に少なくなってきていた頃だったので、採用していただけたことを大変感謝しております。 学校は現在の東広島市黒瀬町に位置しており、呉から片道約27km、自分の車で通勤していましたが、走行距離がシャレにならないくらいのペースで増えていきましたね。3年目の車検時には走行距離が9万キロに迫っていました、と言えばお判りいただけるでしょうか。 当時の武田高校には、マンガのモデルにもなった数学の名物先生がいらっしゃいまして、その先生が僕の教育係のような形で色々と面倒を見て下さいました。 その先生にはいつも、「進学を目指す生徒達を教える以上、教員が受験問題を解けなくては話にならんぞ!勉強あるのみ!」と言われてましたね~ その教えもあって、暇を見つけては大学の入試問題をはしから解いておりました。問題を数多く解いていれば、誰でも受験問題なんて解けるようになるのですが、その時に実感した事があります。 数学しかやらなくてよい数学の教員は、生徒より問題が解けるようになって当たり前! 解けてナンボ、ですが教えてナンボ、でもありますので、人に教えることの難しさも大変実感致しました。 平成9年まで教員として務めさせていただきましたが、神社社務の事情により依願退職して、神職に専念致しました。 ほぼ毎日社務所にいますので、遊びに来て下さい。 まだ、広島大学の入試問題程度なら大丈夫ですので、数学が聞きたい人は、まずは美味しい日本酒を持ってお越し下さいね。 < 前のページ次のページ >
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